創業者の歩み

昭和四十二年八月十日、品川要治、登美夫妻により、京都銀閣寺前におめんは創業しました。

【二人の出会い、おめんとの出会い】
登美は、大正十二年、京都四条に生まれました。
昭和十三年、家政高等女学校に通っていた頃、糸を扱う商社丸紅商店の輸出部主任として実家に出入りしていた品川要治と出会います。 昭和十五年、十七才の時、女学校の卒業と同時に要治と結婚。同十六年、大平洋戦争の勃発で、商社員であった夫と共に中国・天津に移住。同十八年、夫のシンガポール転勤を機に子供と共に帰国し、夫が帰還するまで、群馬県伊勢崎にある要治の実家で過ごします。この疎開先でお姑さんから教わったのが、この地方の郷土料理「おめん」でした。
「今夜は、おめんにするべ」と言われ、子供を背負って麺を足で踏んで練る、家族で囲む日常の食でした。

【うどん屋、おめんの誕生】
昭和二十二年に要治が帰還するも、戦時中の商社員活動が戦争責任に問われるのではないかと恐れた会社側の都合で、職を失い隱遁生活を強いられます。要治三十七才、登美二十四才。夫からの「生活のことは、あんたがやってほしい」のひと言で、女の孤軍奮闘が始まります。職を変えること四十五回、転居すること二十二回という経験を経て、昭和四十二年、登美四十四才の時、京都銀閣寺前にうどんの店「おめん」を開業しました。

【企業としての成長】
開業時から、「お客様に健康な食事を、美味しいものを食べる喜びを届けたい」と工夫された家庭的なおばんざいの数々と、薬味たっぷりでいただくつけ麺うどんはたちまち評判になり、地元京都のお客様に愛される店として知られるようになりました。
開業から二年後、株式会社に組織を変え、代表取締役に就任。昭和五二年に四条店、昭和六三年に三条店を開店。昭和五六年には、日本の素晴らしい和食文化を世界に伝えようと 国際親善交流と健康社会への貢献を願い、アメリカの芸術・文化の中心地ソーホーにニューヨーク店を開店。

【書家、品川哲山として】
この間、要治は漢詩や書に没頭し、書家品川哲山としてニューヨークで個展を開くなど、晩年まで書の世界で生き続けました。その作品は、現在もおめん各店舗にてご覧いただけます。

【おめんのこれから】
現在、京都のおめんは、銀閣寺本店の他、四条先斗町店の二店舗を構え、創業五〇年を越えました。
アメリカニューヨーク店は、二〇二一年、四〇周年を迎えようとしています。
世界各国からも多くのお客様がお越しいただく昨今、「食を通して社会に貢献したい」という創業理念のもと、変わらぬ熱意で、お客様が心から美味しいと思う味作り、お客様も働く私達も笑顔になる店づくりを目指し、励んでおります。